現場ルポ㉙/「医療とリンパドレナージュの間 で」精神科の闇
2023.09.27

「残酷な神が支配する」のストーリーはほぼ2部構成に分かれています。後半はグレッグの長男であるイアンとジェルミを中心に物語が進んでいきます。だが、激しいトラウマを負ったジェルミはもう以前のジェルミとは別人であった(もう元には戻れない)。
「溺れるものに不用意に近づくと引き込まれ共に溺れ死んでしまう」。イアンは強い男だがジェルミの「心の傷」に対するに当惑し、いわば、引きずり込まれてしまう⇒イアンもグレッグと同じ罠に落ちてしまうのであろうか?
●この作品に見る精神科的な関わり
作品自体は余り語りません、私なんかよりもずっと上手くご紹介なされる方々が沢山いらっしゃると思いますので。従いましてここも看護師目線でいきます。
●何故オーソン先生は現実的な介入をしないのか
ここは具体的な思考なり、施策なりうっていく方なら同じ事を思うかも知れませんが。暴虐の限りを尽くすグレッグに何故、さっさと証拠を抑えて、然るべき手を打たないのか疑問に思われる方もおられると思います。
オーソン先生はグレッグのそれを知っていた訳ですが。行政に通報したりはしていません。これはジェルミとの面談の初期よりグレッグが性的倒錯者と知った場合に母親のサンドラが悪影響を受けるのを(ジェルミ自身が)懸念していたために配慮していたと思われますし。
●看護学校での精神科医の教え
私が看護学校2年生の頃に精神看護学の講義を学ぶのですが。その時に印象的な言葉が講師の先生より発せられました。基本として精神科は「患者の悩みを受容するに留めて現実的な介入は避けること」とありました。現実的な部分はその方ご自身が開いていく部分であるからという考えなのだろうとは思います。
(もっともそれが全てとは申しませんが、これは後述致します)。
どういう事か?つまりは学校で虐められてる子に「空手の稽古を一緒にやろう」とか「料理が下手だって夫から責められてもう病んでしまって」という奥様に「じゃあ簡単で美味しい料理教えますよ」とは言えないし、行動もできない。
あくまでも共感したり、悩みを受容し、一緒に考えたりなどが精神科の主な役割になると思います。オーソン先生はそのセオリー通りにジェルミのメンタルを支持されて、必要な薬を処方なされたと思います。